【ママアスリートだった私が.P(ドットプラン)を設立した理由】

「輝く時間」
全ての出来事は夢へ続く大切な時間です。

ママアスリートとして競技者・指導者・子育てなど、多忙な日々の中で、自分の時間を確保することは競技者・指導者・母・妻として全ての自分にとって栄養でした。
また、それは周りの人の幸せに繋がるという事を知りました。
.Pの10回のセミナーを通じて、自分を大切にすることに集中していただけたら、と思っています。
まずは、.Pの設立に至った経緯を私の経験談からお話しします。

「イップスと怪我」

私は、15歳からフリースタイルスキー・モーグルを始め、16歳から公式戦デビューしました。
デビュー2戦目から5位入賞を果たし、その後は順調に成績を上げて国体ではチーム優勝することができ、個人では全日本ランク5位まで登って行きました。
更にステップアップしようと意気込んだ2009年、コースアウトしてしまう事が続いたのです。
何を試してみてもだめでした。
結局2010年は8戦中1試合のみ、ようやく完走できたのです。

これは完全なイップスでした。
次第にコースにいることが怖くなり、周りの人と接する事も怖くなってしまったのです。
早くそこから抜け出したくて、週5日、1日10時間以上は練習やトレーニングをしていました。

ついには「最後のチャンス!」と思って単身で臨んだ2011年アメリカの試合で大怪我をしてしまったのです。
もう、心も完全に疲れ果ててしまいました。

「結婚・出産」

「家族の為に」「両親の為に」「子供の為に」「友人の為に」
「仕事を通じて知らない誰かの為に」

~あなたも誰かの為に生きている~
そんな実感をもちながら生活している方も少なくないのではないでしょうか?
私も競技生活中、応援してくれる誰かの為。家族の為。子供の為にと、それを励みにしながら乗り越えてきました。
ここまで聞くと、良い事ばかり起こりそうです。

しかし、裏ではこんな想いをされている方も多いはず。

「私が居なかったら・・・」
「誰のおかげで・・・」
「どうして私ばかり・・・」
「気が利かないなぁ・・・」
「どうして分かってくれないの?」
「お互いの為にしている事なのに・・・」
「あなたを思って言っているのに・・・」など

一生懸命相手を思うからこそ、頑張っているのに想いが伝わらない。
価値観が違う?相性が合わない?
性格の不一致?
こんな想いばかりでは・・
仕事なら、辞めてしまいそうです。
夫婦なら、離婚の危機です。
しかし、自分の子供だったら・・・
TVで見かける虐待ニュースも、とても他人事とは思えません。

私は、妻として嫁として母として、自分の時間を犠牲にする覚悟を持っていました。
新しい生活はスキーばかりしていた自分とは180度違う新鮮なものでした。

しかし、すぐにそんな覚悟は必要なかった事に気付くのです。

出産から2か月後、トレーニング復帰した私は、
1年振りに自分だけの時間を楽しんでいました。

週2日。1日2時間。
この時間が楽しくて、爽快で、ものすごく集中している自分を発見できたり、
以前よりもトレーニングの質が上がっている事にも気が付きました。

何よりも、この2時間が終わると
毎日会っているのに、家族に会えるのが楽しみでなりませんでした。

猛ダッシュで自転車を漕いで家へ向かうのですが、主人、娘に会いたくて涙が出るほどでした。
帰ると、不思議と家事が楽しくて、おなかをすかせていた娘に母乳を与え、主人にも一工夫加えたおつまみを作るのが楽しいのです。

週2日。1日2時間だけの、自分だけの時間があったから、他の時間が輝いたのです。

娘は笑顔いっぱいの伸び伸びした性格に育っています。
主人ともお互いを支え、高め合える最高の仲だと感じています。

仕事をしていても、自分が満たされていれば部下に伝わり、お客様へもその波は伝わりますよね。

自分が元気でいること=周りにもいい波が伝わるのです。

「笑顔が1番」
その通りです。
でも、テクニックで作った笑顔ではなく、心から自然に溢れる笑顔が大切なのは言うまでもありません。

私はその後、産後7か月で競技復帰し、優勝することができました。

更に、翌年にはイップスからも完全に脱し、表彰台に3度上がることができました!
3年振りに自分らしい大技を決めることも叶いました。
全ての試合で実力以上の滑りをすることができました。
若手が伸びてきている中でも全日本選手権でファイナルに進出することができました。私以外みな全日本の強化指定選手でした。
11位でしたが、目標だった「日本一のママアスリート」になれました!

おそらく、周りのどの選手よりも練習時間が少なかったと思います。
これは、運が良いとか、運動神経が良いとかの話ではありません。
走り込む時間も無かったです。必要最低限のトレーニングと練習のみです。

それでも、夢は叶いました。

「輝く時間」
全ての出来事は夢へ続く大切な時間です。

誰だって、自分の幸せを考えていいはず。
どんなに忙しくても、苦しい時間も、全てが大切な出来事だと思う事が出来たら、
心に乗っかってしまった重りは少しずつ軽くなるはずです。

.Pでは、~あなたのストーリーの終止符へ~をコンセプトとし、
心のどこかで、諦めてしまった夢をもう一度ご自身の力で叶えます。
3回~10回のセッションの中で、スポーツを通して心と体を一致させていきます。

●1回~3回では自分とはどんな人物なのかを、今よりも深くみつめていきます。
●4回~6回ではイメージと休息による効率的な時間の使い方を知っていただきます。
●7回~10回では心と体のコントロールを知り、自分を誰よりも理解できるようになります。更に、最後に・Pを卒業していただきます。

多くの方の毎日が深いぬくもりのあるものになるように、
このように発信し続けていきたいと思っております。

.P(ドットプラン) 新谷奈津美

 

新谷選手インタビュー

●プロフィール
長野オリンピックでモーグル競技を知り、中学卒業と同時にモーグルを始める
16歳から公式大会に参戦し着実に実力を上げていくが26歳の時に靭帯のけがにより休養
その際に結婚・出産し28歳で現役復帰を果たし、美女ママアスリートしてメディにも多数出演。
2015年の全日本選手権を最後に引退。
現在はアスレティクトレーナーの資格を取得し起業.P(ドットプラン)代表として活躍中

資格
日本体育協会アスレティックトレーナー

経歴
2000年~2015年フリースタイルスキーモーグル選手
2015年全日本フリースタイル選手権ファイナル進出 11位
2009年新潟国体 団体の部 優勝/個人の部2位
2014年東京大学ラグビー部トレーナー
2015年 .P創立
ママアスリート経験2年

この記事の著者

新谷奈津美

新谷奈津美

長野オリンピックでモーグル競技を知り、中学卒業と同時にモーグルを始める
16歳から公式大会に参戦し着実に実力を上げていくが26歳の時に靭帯のけがにより休養
その際に結婚・出産し28歳で現役復帰を果たし、美女ママアスリートしてメディにも多数出演。
2015年の全日本選手権を最後に引退。
現在はアスレティクトレーナーの資格を取得し起業.P(ドットプラン)代表として活躍中。

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