「自分ブランドをもつ」

無題

夢や目標に関する情報収集と自分を分析する力。

目標達成まで、この事は何度でも振り返るべきです。

自信を深める事
更に己を知り深め、自信を持つこと。
それにより、自分とは何かがはっきりするため迷う事がなくなる。
一度は自分ブランドを持ったのに、捨てた瞬間に起きた悲劇からこの大切さを学びました。

「勝つために」

勝つために・・・選手は何でもするでしょう。
食事療法・トレーニング・勉強
それらは、正しく選択されれば良いのですが、必ずしもそうとは限りません。
「世界のトップはこれをやっている」と聞けば・・・どうでしょうか?
世界と肩を並べたいと思っている選手の大半は試してみたくなるのではないでしょうか?

しかし、それが自分に合った物である保証はどこにもありません。

私も勝つために、自分がこだわっていた滑りを一旦やめてしまった事がありました。
2回目の膝の靭帯断裂という怪我を負ってしまった時です。
ルールが変わり滑りの評価も変わり、私がこだわっていた滑りでは点数が伸びない事が解りました。
日本代表入りを意識した試合の直前のことでした。
どうしても成績が必要だった私は、ずっと大切にしてきた自分のターンをやめ、
「点が伸びる」と言われた滑りを1週間練習しました。
雪質の柔らかな日本では、この練習がうまくいったのです。
ターンもいい。
エアも安定している。
スピードには元々自信がありました。
これだけやったなら、世界に通用するはずだと。
一段と自信をつけ、いざ北米戦へ。
現地カナダの雪質は日本とは全く違ったものでした。
氷点下30℃になる事もあるそのコースは尻もちを着いたくらいでも大きなアザができるほど硬く、風もあるため表面の雪も全て吹き飛んでおり、むき出しの氷の上を滑るようでした。

条件が違いすぎる。

新しく覚えたターンでは、氷の上をツルツルと不安定に滑っていくため、全く使い物になりませんでした。
恐怖から、コースを滑りきることすらできません。

かつてのこだわりも捨ててしまい、新しく覚えたターンも使い物にならず、26歳の私の滑りはまるでモーグルを始めたばかりの少女の滑りでした。
しかし「ここまで来て、このままではいられない」という自分もありました。
こだわりを捨てて練習やトレーニングをし、絶対に入賞できるところまで仕上げて乗り込んだはずの北米戦。
北米へ来てから3試合。
コースアウトが2回。やっと完走した1試合はゴールした中で最下位でした。

私はもう、何がしたかったのかわからなくなっていました。

北米遠征最終日の4試合目。
コース中央で靭帯が切れたのがわかりました。
泣き叫んだ事を覚えています。

「自分ブランド=質×量」

「点が伸びるから」
「世界はこうだから」
といったものが自分に合った物である保証はどこにもありません。
トップ選手の練習パターンをまねて追いついて来れば、それは自分のものだと思われがちです。
しかし、そこには目に見えないこだわりの差があります。
たとえどんなに遠回りしたとしても、自分だけのオリジナルを作り出すべきです。
オリジナルが決まるまでは質より量が必要です。
自分で考え工夫し、どのように表現したいか、自分にとってそれは何か。
無意識のうちにトップ選手はこうして自分独自の色を付けています。
そうなってきたら、ようやく量より質の練習です。
自分の持ち駒がはっきりしているため、確実な戦略が立てられ「自分のパフォーマンス」と呼べるものが表現できるのです。

更にそれ、「自分のパフォーマンス」を信じる事です。

必要以上の反復練習をしない事です。
反復練習を繰り返す人の心理に

失敗やミスを減らすため」

が含まれていたら要注意です。
これらは、脳にイメージとして残ります。
「失敗」のイメージが脳から身体へ伝わり、まんまとその通りになるのです。
脳にとっては指令した通りに伝わっていることが正しいので、「失敗」で○なのです。
イップスはこうして作られていきます。
もっと、「質」にこだわるべきでしょう。
●睡眠
●食事
●サイキングアップとリラクゼーション
●ピーキング
●会場や相手の分析
●自分が出せるパフォーマンス・組み合わせ・コンディション
など。
こうして、自分色を継ぎ足して「自分ブランド」になっていくのです。

15年間の競技生活、
14年間はせっかく見つけた自分ブランドを捨て、苦しみ続けました。
最後の1年、新しいものではなく今までやってきたものを信じて戦いました。

最大の目標だった「日本一のママアスリート」になれました。

自分ブランドの大切さを改めて感じました。
広く、これを発信していきたいと思います。

.P 新谷奈津美

 

新谷選手インタビュー

●プロフィール
長野オリンピックでモーグル競技を知り、中学卒業と同時にモーグルを始める
16歳から公式大会に参戦し着実に実力を上げていくが26歳の時に靭帯のけがにより休養
その際に結婚・出産し28歳で現役復帰を果たし、美女ママアスリートしてメディにも多数出演。
2015年の全日本選手権を最後に引退。
現在はアスレティクトレーナーの資格を取得し起業.P(ドットプラン)代表として活躍中

資格
日本体育協会アスレティックトレーナー

経歴
2000年~2015年フリースタイルスキーモーグル選手
2015年全日本フリースタイル選手権ファイナル進出 11位
2009年新潟国体 団体の部 優勝/個人の部2位
2014年東京大学ラグビー部トレーナー
2015年 .P創立
ママアスリート経験2年

この記事の著者

新谷奈津美

新谷奈津美

長野オリンピックでモーグル競技を知り、中学卒業と同時にモーグルを始める
16歳から公式大会に参戦し着実に実力を上げていくが26歳の時に靭帯のけがにより休養
その際に結婚・出産し28歳で現役復帰を果たし、美女ママアスリートしてメディにも多数出演。
2015年の全日本選手権を最後に引退。
現在はアスレティクトレーナーの資格を取得し起業.P(ドットプラン)代表として活躍中。

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